さとちゃんの、だだだだだ駄ブログ

【ナナサト】ピアノの方、勢いまかせのどーでもいい話と、たまにライブのお知らせなど大事な告知もします。

道の駅十文字のピアノ弾いてきた、の話

昨日は完全に「気分が落ちてる」寄りの1日だったけど、今日は朝から差す日差しで気分はすっかり上昇さ。日光って本当に大事。秋田の冬の日照時間の少なさは罪。 

昨日というのは、さまざまなピアノ弾きの方々の演奏をSNSで見ては自分の技量、気持ちだけで実態が伴わずにここまで来てしまったことに嫌気がさして、「弾かなきゃうまくならないのに弾くと下手で落ち込む」みたいな、誰にも救われないバカな落ち込み方をしていた。それも記念に貼っておこう。 

翌朝に明るい陽射しが出るだけで解決される、情けない悩みよ、ははは。

そんな調子こいた心身で、午後にふらっと道の駅十文字に、ピアノを弾きに行ってみた。

9月には仮面紳士様とのコラボでここで堂々と弾かせてもらったけど、その半月前初めて弾いたときに、10分ほど弾いた頃に道の駅の従業員さんから「ピアノの音が大き過ぎるとお客様から苦情が入ったので、、そろそろやめていただけると、、」と言われたトラウマスポット。

人生初のストリートピアノに、ありったけの勇気を出して行った私にとってムチムチの鞭。弾き終わったら割れんばかりの拍手というような飴はない。

今思えば、全身で全力で鍵盤を叩くように弾いたら、そりゃうるさいだろうよ。

SNSでは、叩くように弾いたそれと別の曲をアップして「ストピ弾いてたらうるさいって苦情きた」って書いてしまったために、「こんな素敵な音色に対してひどい!」「そもそも設置してるのに、なんで?」「こんな優しいタッチの演奏でそんな苦情言うなんて。心が狭い」等々、私を擁護するありがたいコメントをいただき、恐縮です。

 

そんな過去も思い出しながらの今日で、とにかく私が出せる最大のppp、さとちゃんの最大の技量で出す最小の音、のつもりで弾いてみた。

一音目ポーンと指を置いた瞬間、予想以上に大きく響く音にどっきり。建物の構造上、どうしたって響くんだな、ここは。しょうがない。けど最小の音を狙って弾き続ける。

弾き終わって拍手をもらえたらいいなとは全く思っていない。だいいち、ここにあるピアノ、背の高いパーテーションの陰にあり、さらには左を向けばすぐ男性トイレ入り口、という場所で、トイレに行こうとしない限りそこにピアノがあるなんてわからないのです。

でも今日は、4曲弾いたら4回とも拍手してくれた女性がいた。

今日はひな人形を飾りに来たそう。

ピアノの蓋を閉めるのを見てこちらに来て、話しかけてくれた。この方は、ひな人形を飾る以外にもさまざまなボランティア活動でこの道の駅に来るらしく、「いいわあ、また聞きたい。また、ぜひ弾きに来てくださいね」と言ってくれた。

そこから、女性の最近の話になり、昨年末に通院のために総合病院の待合所にいたら、エスカレーター下にあるピアノで誰かが「エリーゼのために」をゆっくりポロンポロンと聞いていて、それを聞いてたら涙が出てきちゃったの、でも心がなんだかすっきりしたような、ということを話してくれた。

私は最近、たまたま図書館で見かけて借りた「病むこと みとること(著:日野原重明)」という本と、「音楽で寄り添うということ  ホスピス緩和ケアの音楽療法(著:新倉晶子)」「やさしい音色の処方箋(著:高島恭子)」という本を読んだばかりで、

あ、身近に、近々看取りを覚悟しなければならない誰かがいるわけではないけど

 

特に音楽療法についての2冊で、音楽が人の感情・記憶に訴えかけるもの、みたいなことを様々なエピソード交え読んでいたので、

その本の続きのような話をボランティアの女性から聞けて、なんだかストンと腑に落ちるような感じがした。

あんまりYou TubeSNSやらで素敵な演奏を見ていて、なんだかそういうものを弾かなければならないように思っているところが多少なりともあったけど、それはあくまで「私にとってカッコいい演奏」「私が聞いてしびれる演奏」というものなわけで、

私が前回道の駅で弾いたときは、そこでの音の聞こえ方や、そこに足を運んでいる人の目的(買い物だけじゃないからね)等々全く考慮しないものだったなあと反省。

 

初回の苦情がなければ、今日も私はおらおらおらと言わんばかりに、がつがつと弾いてきたことでしょう。

そんなわけで、次回行ったら弾きたい曲候補を頭に浮かべ、レパートリーを増やしていく、というかまず「実はそれなりに弾ける曲」の棚卸をしたいと思った、本日春の陽射しの良き日でした。

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